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老いの現実…


今春高校と中学にあがる息子たちが

いいスタートを切れるよう

そして

私も再スタートを切るよい機会だと

いつになく昨年の暮れは

家中の片付けがはかどった。

気持ちがいい新年だと

息子たちに送るエールが

自分のエネルギーに変わる気がしてた。



昨日は実家に新年の挨拶にいった。

当たり前だが 親は確実に歳をとる…

新年だというのに

片付けられない部屋から

日頃の自堕落な生活がうかがえる。

こだわり(生活のハリ)がなくなるのも

わかるが…

変な頑固さが増し

理解に苦しむ自己正当化…

ふぅ~

歳を重ねること…の見たくない部分だ。

これが実親となると

こちらも冷静ではいられない。

ついつい感情的になってしまう…

先々のことを考えると

なんだかなぁ…憂鬱


今朝 夫の前でボソッと話した。


夫から返ってきた意外な言葉…

僕も一緒にするし

専門の人に任せるところは

任せたらいいしな~

一人で抱え込まなくていいんやで


私の悪いクセだ…

ずいぶん気持ちが楽になった。

夫も義理の親となると冷静だ…

そんな夫の存在は ありがたい…

と気づく。


まだまだ

乗り越えなきゃならない試練や経験が

あるってことにも気づいたな…

まだまだ自分が未熟だってことにも…


ん~

人生奥深いですな…






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遺品整理


なんだか ご無沙汰です…


亡き義父の遺品整理に追われています。

義父の部屋とその納戸を片付けつつ

家中の断捨離もしているのです。

かなり大掛かりで

まるでゴミ屋敷のようです。


義父の遺品から

可愛いアンティークな金庫が

出てきました。



息子たちと カギの謎を解き開けると

中には たくさんの記念硬貨や

古い硬貨が入っていました。



義父の遺品からは

義父の生きた証しと思われる

その歴史と人柄を感じ

亡くなっているのに身近に感じ

義父が亡くなったことを忘れそうです。


人は亡くなっても

その人が大事にしたモノには魂が宿り

ただのモノではないことを感じます。


ですが ここは片を付け

必要な場所で そのモノが生かされる

ように分別をしたり 処分することで

気持ちの整理もつくものです…


私たちは

これからを生きてゆくのですから

片を付けることも必要なのです。











長男の嫁


昨夜 義父の三七日法要が終わった。

言葉にするには難しいけれど

すこし自分のなかの区切りがついた。


義父の死をきっかけに

仏事についても知識を得たいと

思うようになった。


仏壇を隅々まで埃を落とし磨きながら

なんだか新たな気持ちになる。


長男の嫁となったときから

仏事がおろそかだったこと

読経できないことにずっと引け目を

感じていた。


努力すればできたのかもしれないけれど

その機会が見つけられなかった…


やっと そのチャンスがやってきた!


親戚付き合いも義父に任せていたが

これも夫に代が変わる。


今までおろそかにしていた事柄に

責任を感じる立場となってきた。


意外と大きかったことに気づく

義父の存在…


親が亡くなるってことは

代が変わるということだったと

改めて実感する。

今からが

ほんとに長男の嫁になるのかも…


そして また息子に継いでゆけるものを

私たちで作り上げてゆくんだなぁと

責任を感じずにはいられない…








仏さんがいること


西国三十三箇所御詠歌は

独特な節回しがあり難しいのですが

毎晩あげるうちに 家族みんなが鐘を

叩けるようになり

節回しもなかなか上手くなりました。

夫は 目をつぶって余韻に浸っている

ようにも見えます。


そんなことで 毎晩 家族が交代制で

先導することができています。


御詠歌とは 故人が極楽浄土へ到達する

までの応援歌だと聞きました。

ですが それを唱える遺族も

不思議なことに心が穏やかに安らかに

なってゆくのを感じます。

仏さんがいるっていうことは

このような静の時間をつくるのか…

と実感してしまいます。

これも 私の知らない世界でしたから…


そんななか 遺影を見て何気に

「おじいちゃんいなくなって淋しく

なっちゃったなぁ…」というと

すかさず次男に

「ママ~あのな~じいちゃんはな~

笑いながら上からずっと見とるん

やで!」と言われました。


そうです…次男がワンワン泣いたときに

私が次男に言った言葉です。


何だか 答え合わせをされているようで

ドキッとしながらも

次男の(気持ちの)切り替えの早さと

屈託ない笑顔に

思わず笑ってしまいました。











親を見送ったあと


義父を見送ると

次は さまざまな祀りごとがあります。


毎日 朝と昼に 霊供膳を供えます。

灯篭の灯りとお線香を絶やさず

灯します。

毎晩 西国三十三箇所御詠歌を

唱えます。

義父が極楽浄土に到達する四十九日まで

いろいろと 祀りごとがあるわけです。


これらをまとめて たいがいの人は

「四十九日までは大変」と言います。

経験した方は そのあとに

「大変だけど してあげてね」と言う。


これまで私が感じていた

それらの「大変」とは

なんの思いもありませんでしたから

面倒なこと…と

思っていたかもしれません。


ですが この「大変」という

言葉の裏側に

故人を思う気持ちがあるということ

だから 義務ではなく

心を込めてできることなのだと

頭ではなく 全身で実感しています。


そんなことを知るうちに

なんだか 言葉にすると

薄っぺらく感じていた

自分が恥ずかしいです。


それを薄っぺらく感じるか

深く感じるかは

これも自分しだいなんだぁと思います。


いくつになっても

経験がこれからの自分をつくるんだと

なんだかしみじみと思うのであります。